「エピソード4」
(あらすじ)
ジャックはふとした事から「ミチェライツ」という種族と知り合った。彼らは森の中で、「ウーリー」という生物を奴隷のようにこき使って暮らしていた。ジャックはミチェライツ達に食事をもらい、一夜の宿をもらう。
しかしおかしな夢を見てジャックは目を覚ます。そして調べてみると、実はこの集落の本当の住人はウーリーの方で、ミチェライツ達は侵略者だったのだ!
ウーリーの長老の「ラゾ」にウーリー達を助けてくれるよう頼まれたジャックは、ミチェライツ達のオーブを破壊に行くのであったが…。
(解説)
…という事は、ウーリー達は本来は人間だったのでしょうか?ちょっと謎。
ところでこの話、最初見た時からずっと気になっていた事があります。
皆さんは時代劇とかで「一宿一飯(いっしゅくいっぱん)の恩義」とかって言葉が出てくるのを知ってます?わかりやすく説明すると、要するに「一度食事をごちそうになって、家に泊めてもらったような恩でも、その恩は返さないといけない」というような、まあいかにも侍らしい心理ですよね。ただそういうのを「義理」といって、今でももちろんそうだけど、昔は特に重んじられたんですよ。
それで一昔前の時代劇とか見ていると、よくこういう話があります。
主人公の浪人が、ある人物に食事をおごってもらい、さらに家に泊めてもらった。ところが実はその人物が大悪人で、とある子供達の両親の仇だったという事が判明。さてそこで主人公の浪人は果たしてどちらの味方につくか?…っていう事なんですけど、わかります?
現代人の感覚だと、おそらく「悪人」の味方はしないで、その子供達の味方について「悪人」を倒しますよね。人によっては、どちらの味方にもつかないで、高見の見物を決め込むかもしれない。それはさておき、とにかく時代劇とかだとこういう場合、主人公は苦悩するわけですよ。「もちろん悪人の味方につくわけにはいかない。だからと言って、子供達の味方にもつくわけにはいかない」って。
何故だかわかります?まずその「悪人」に食事をもらい、泊めてもらった。これは「義理」。そして悪人を倒すために、子供達の味方につきたいというのは「人情」。これぞいわゆる「義理と人情の板挟み」ってぇやつなんですよね。
もちろん悪人を倒す事は大事だけど、それと同等に「義理」を果たす事は大事だったんです。悪人に「一宿一飯の恩義」があるわけですから、それを返さないといけないんです。でも「人情」として、悪人の味方にはつけない…ああ、どうしたらいいのか?…てな具合でして。
じゃあ主人公は結局どうするのか?ってのは、まあそこがお話しのクライマックスであり、色々なパターンがあるので、一概にどうこうは言えないんですが、鍵となるのはやはり「一宿一飯の恩義」なんですね。つまりこの「義理」さえ果たしてしまえば、後は恩を返す義理もなくなるわけなので…、後は各自で想像してください(笑)。
で、話をジャックに戻すけど、今回の場合まずジャックは「ミチェライツ」達に食事をごちそうになり、一晩泊めてもらっているわけです。まさに「一宿一飯の恩義」。ところがそのミチェライツ達は、実は悪い侵略者。当然ウーリーの味方をしたくなるのが「人情」。と、ここでこの話を日本人が作っていたのならば、ここでジャックは悩まないといけないんです。「どちらの味方につくか」とね。ジャックが侍ならばなおさらです。でもそれをしなかった。それはおそらくアメリカ人には、この「一宿一飯の恩義」という物が理解できなかった、あるいは知らなかったのではないか?と思うのですが、いかがでしょう…?
もちろん知っていて、わざとやらなかった、という可能性もありますけどね。 |